巷の「サイン会中止」の【千葉麗子】氏『くたばれパヨク』を読み思う!



オシマサの広場へ、ようこそ!

今回は1冊の本から俺の頭に浮かぶことを
並べてみる。

話の節
1 『くたばれパヨク』を読む
2 共感者の考えるは統治とは?

『くたばれパヨク』を読む

書籍の名は『くたばれパヨク』。





報道にも出ていたサイン会を
中止に追い込まれた千葉麗子氏によるものだ。

(東京堂書店で行う予定とあった。)

実際、サイン会の中止騒動が世間に表れなければ
この『くたばれパヨク』を手にすることは
なかったかもしれない。

その点で同氏のサイン会を中止に追い込んだ
いわゆるパヨクがこの本との縁を
俺に与えてくれたのであろう。

変な話だ。

まあ、それはどうでもいいかもしれない。


電車の中で読んだのだが
存外、勢いよく読み切ってしまった。

最初は何やら小難しい感じがしたのだが・・。

もっとも、頭の中にすべて残ったかどうかは
わからない。

しかし、いわゆるパヨクの存在と
その影響を知る契機としては十分と思う。

そして、今までわからなかったというか
知る手段がなく知りようがなかったのだが
既存のメディアが、まだまだ侮り難い大きさを
持つということも
一部にしろ知る機会を得たと感じている。

ところで、千葉麗子氏と言えば
ずいぶん前に、およそ20年以上前と思うのだが
俺の記憶に、次のように残っている。

何かパソコンとネットに関係しているような
人、女性・・か。

その後は、印象は残ってはいるものの
いつぞやからか、頭の中から消えていた。

まあ、これは単に俺の世間に対する
関心度の低さと記憶力
あるいは観察力の乏しさが所以とは思っている。

それにしても、久方ぶりに脳裏に焼き付いた名前だ。

と、ずいぶん前口上が長くなった。

さて、著書の内容について
細かく触れるほどの見識は持ち合わせないが
大きくはこのように捉えている。


1

 いわゆるパヨク予防



2

 日本人のあり方



3

 メディアへの
 パヨク浸透度

中でも3番目の事柄だ。

同氏が見た芸能界のいわゆるパヨクの存在状況
これを具体的に表した点が興味深い。

そして、その存在が如何にているのか・・
日本社会に大きい影響を与えているのか
諭してくれるようでもある。

そして
表れるものがすべてではなく一端としても
驚くばかりである。

もっとも、これは俺が感じたこと。
千葉麗子氏の意図とは違うかもしれない。

その際はご容赦願うとして。

が、ともかく世の中、社会を考えるには
良き指標の1つになりそうだ。

また、著書を通じ、同氏の印象は
とても素直、透明感があるかに映る。

それもあって、1時間半ほどで
読めたのかもしれない。

と、ここまでは同氏の著書に関して
俺の感じたこと。

ともあれ、こういう形の書籍が登場し
多くの人の関心を呼ぶ姿を見ると
将来へ不安を覚える人が多い証左であろう。

いささか偉そうだが、それはいつもの文調なので
こちらもご容赦願いたい。




共感者の考えるは統治とは?

続いて、当地について、俺なりに考えてみる。

この著書の中で
日本第一党党首の桜井誠氏との対談がある。

まったく同一ということでもなかろうが
千葉麗子氏の方向性は桜井誠氏のそれと
沿ったところもあるかに見える。

もちろん、すべてではない。

ともかく、言葉には語弊はあるが
大和民族的な日本人集合体で構成される
純粋日本への回帰。

こういうものと捉える。

かつて日本が大切に押しいただいてきたものか。

「御破算で願いましては」
「リセット」
「零点規正」
として進むように思える。

おそらく、そこに至るまで
かなりの時間がかかるように思えるが
ある程度までは進みそうな気もする。

その過程において
人々は既存メデイアからの乖離、離脱へ
進むのであろう。

そして、SNSからの情報入手へ・・と。

しかし
これはこれで情報のいいとこ取りというか
好きなものしか取り入れない弊害が生れる
かもしれない。

とはいえ、今の既存メディアも
相当色を付けて流していると思うので
どうせ耳に目に入れるなら
やはり、自分自身で取捨選択できる方が良い!

とした方向に向かうのであろう。

ただ、この場合
骨となりそうな精神的な流れがあれば
つまり指導者が尚賢であれば
相応の収束感を持って社会は進むとも思う。

特に思うのは、新しい勢力が台頭した場合
「統治」の理想形はどういうものか?

これを考えることが大事ではないか!

『いわゆる』という言葉をあえて冠するが
いわゆるガバメントのこと。

ガバメント : government

どういう政治を行うかも大事だが
その究極の姿である「統治」のあり方。

これにも思いは至るのだ。

物事のはしりとして
千葉麗子氏や桜井誠氏の主張に対し
十分うなづけるものはある。

だが、その考えに沿う者と
そうでない者を含め
どのようにまとめていくのか
それも大事と思う。

そんなことはオマエに言われなくも
「百も承知」と叱責されそうだが
人は経済的にある程度潤わないと
耳を傾けないのと同様
どこかに安定と安心感を求めるもの。

その部分はどのように表していくのか
ちょっと興味深い。

また、官僚
いわゆる公務員に教義めいたことを押し付けても
すぐには動かないと思う。

言うことを聞かないから排除!
ということもないと思うが
彼らの心を掴むことも大事であろう。

掴むというと大げさだが
心をくすぐるアプローチは必要ではないか。

やはり
そこには理想の社会と人間の欲するものは何か
ということも考えるべきか?
と、いろいろと考えてしまうのだ。

結局、ここでも感想となってしまった。

俺、オシマサ、僭越ながら斯く思う。

(再見)


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