小池百合子都知事、関東大震災時の朝鮮人犠牲者の追悼文を断る! 不明確な歴史事象への毅然とした姿勢はよい!



小池百合子 追悼文

オシマサの広場へ、ようこそ!

久方ぶりに小池百合子東京都知事に触れてみる。

とにかく、小池都知事は選挙巧者であると同時に。
政治的な琴線に触れる部位をよくつかみ、押さえる
人物に見える。

決して、都政への取り組みと「都民ファーストの会」
に関わるすべてを「よし」と受け止めてはいないが。

今日の報道・メディアに表れる!
関東大震災時の朝鮮人犠牲者の追悼式への追悼文を
断った姿勢はよいと思う。

やはり歴史的事実として不確かなできごと。
これに公僕の都知事がそれを裏付け後押しする関連
行事へ参加することはよくないと捉えるからだ。

ちなみに朝鮮人犠牲者の追悼に関連するものはこれ
とある。

墨田区の都立横網町公園内に朝鮮人犠牲者のための
追悼碑があり、碑には「あやまった策動と流言蜚語
のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われ
た」と。(産経 8月24日)

ここで気になる部分は「六千余名」に上る数字だ。

そこで、東京都のこの数字への判断を見ると。
「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できな
い」との立場とある。

であれば、この種の追悼式に東京都が関与すること
は不適切であろう。

ゆえに小池百合子都知事の判断は適切と思う!



ところで、不思議なことがある。
用語、言葉、表現の使い方だ。

基本的に関東大震災時に亡くなった方々に対しては
『犠牲者』が妥当な用語と思うのだが、中には『虐
殺の被害者』という表現もある。

このあたりが不思議というか。
当時の朝鮮人は日本人に朝鮮人と見なされただけで
「虐殺されたと言いたいのか」という疑問が起こる
のだ。

そして、どうして『虐殺』という言葉、表現を日本
の新聞は使うのだろう。
その根拠を知りたいところだ。

また、仮にあるとするならば、それは万人が見ても
納得できる事象であり、数値なのか?
ということだ。

これらの証を立ててから『虐殺』を使うべきと思う
のだが、どうだろう。

そこで、24日17時現在、目に入った範囲での報道・
メディアの使用用語を並べると、こうか。

 産経新聞  犠牲者
 読売新聞  虐殺の被害者
 東京新聞  朝鮮人虐殺

(産経は極端との評価もあるようだが、中立な視点
を持つと思う。)

そこで、話の対象を小池百合子都知事に戻す。
今回の件で保守を標榜する人たちの心を。
かなりわしづかみにしたことは想像に難くない。

そして、今まで東京都の財政事情を悪化させるだけ
なのか?
と、浪費の政治家としての印象を強く持つに至って
いたが。

今回の動きで、それはそれと見させる効果はあった
のではないか。
何しろ、俺自身、ちょっとグラッときた!
(門外漢が語っても詮無きことかもしれないが。)

ともあれ、不確かなことは不確かと毅然とした姿勢
を持つことはよい
のだ。

誰であれ!

俺、オシマサ、僭越ながら斯く思う。

(再見)


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